墓場で五年、私は人の愛し方を覚えた
― 無縁仏の番人をしていた、19の小娘の話 ―

突然ですが、皆さん墓場の清掃ってやったことあります?
ジモティーとか単発バイトアプリとかでたまーに募集かかってるんですけど、私それが好きで見つける度に行ってるんですよ。
特に夜間の清掃、あれはいいですよ。墓って意外と考え事に向いてるといいますか、無心で手動かしててもどっかのタイミングで、ふとそれまで気にも留めなかったものが気になってくるんです。それはもしかしたら風に揺られる枯れ草かもしれませんし、ちょっとしたタイルの傷かもしれません。ですがそういった、普段なら視界に入りもしない細かな風景や要素なんかが、やけに気になってくるんですね。
よく昔、点つなぎの雑誌の後ろの方のページに焦点ずらして隠された絵を見る、みたいなやつあったじゃないですか。あれってコツつかむまでが長くって、つかんでからは一瞬なんですけど、久しぶりにやった時なんかはどうやってやってたっけって小一時間悩んだこともありました。そんな風に、できないできないってうんうん唸ってた人間、私だけじゃないと思います。話を戻しまして、そんな感じで墓掃除も一度その観察しちゃうクセ?を身に付けるとしばらくそれが身に付いた状態が続くんですね。
これ、何がいいって物だけじゃなくて人間にも適応されるんですよ。細かいところにも目が向く、気がつく。一挙手一投足に目が向くからこそ相手が何をしたいのかまで考えが至る。墓掃除をした後一定の期間は私のような陰の者でも限りなくパーフェクトに近いコミュニケーションの取れる期間が続きます。私はこれをドーピングと呼んでいましたが、どちらにせよ気になる方は一度募集を探してみてはいかがでしょう。
それで、そもそも何故19の小娘なんぞが墓掃除に手を出したのかという話。何を隠そうわたくしド田舎出身でして。中でも祖母の家は前は田んぼ、後ろは山、みたいな360度を野山に囲まれたアジアのアルカトラズみたいなとこだったんですけど。人口よりカカシの方が多くて。野生の猫、犬に続いてモグラ、蛇がくるみたいな場所でした。
そんな秘境で山にキノコを取りに行ったり、キジを追いかけ回してたりしたところ近所の神主さんから『無縁仏って知ってる~?ちょっとウチよってく?』とJKのマック行かない?なみにフランクなノリで誘われたことがキッカケでした。
まぁ勿論ジッしていられない私のこと。速攻頷いてそこから無縁仏の清掃を始めることになりました。手順はシンプル。まずは清掃を始める前に一礼、合掌して挨拶をします。ここはなんでも良いらしいんですけど、まぁ心の中で「失礼します」とか「お掃除させていただきます」とかとにかく一声かければいいとのこと。
内容も落ち葉を集めたり、ゴミを片付けたりとかシンプル。雑草を手入れしたり、墓石の水拭きしたり、基本誰しもイメージする『墓掃除』をこなしてました。
無縁仏にもたまにお供え物が供えられることがあります。お団子やお菓子なんかは供えたそばからカラスが持っていくので名残だけが残りますし、物は基本的に雨風に晒されるとダメになるかどこかへ飛ばされるかします。
そんな無縁仏の奥の方に、1つだけ脇道がありました。墓石を縫って進んで行って、ようやく分かるような奥まった場所です。その獣道のような場所に、数本の小さな「風車」が飾ってありました。持ち手の部分が木のような材質で出来ていて、今では到底お目にかかれないようなレトロなデザインの代物です。そのうちの1本は経年劣化に耐えられなかったのでしょう、ポッキリ根本の辺りから折れてしまっていて、頭の部分がなくなってしまっていました。
そんな風車、風1つない日にその近くを掃除してサァ帰ろうと立ち上がった瞬間一斉にガラガラガラガラと物凄い勢いで回るなどちょっとした不思議体験?も提供していただいたりしてたのですが、ある日『水子供養』というものの存在を知ってからはなんとなく見え方が変わりまして。雨の日に持ち手が痛まないようにビニールを何重かに巻き付けたり、台風の日に飛ばされないようにしたりなど、自己満足ではありますが色々と手を掛けるようなっていきました。
それからも突発的にぐるぐると回る現象は続きました。ですがそれは決まって『私が帰ろうとした瞬間』であり、不思議なことに帰るのを止めるか、そう思った瞬間ピタッと止まるのです。
なんだか、それが凄く悲しくて。
何やってるんだって感じですけどたまに本を持ってきて1人で読んだりもしました。寂しくないように、文字が読めなくてもいいように、挿し絵の多い本や、絵本を1人で開いていたこともあります笑。無縁仏の側でなにやってるんだ!って感じですけど、当時の無知な私が一生懸命に頭を悩ませた行動を咎める存在は、いませんでした。
そんなこんなを続けて数年。クソガキから立派なカスへ成長を遂げた私は相も変わらず雑草を千切っては投げ千切ってはを繰り返していました。
無縁仏、縁の無い仏とかいてむえんぼとけと読みます。ですがやはりここにも全く人が来ないかと問われれば決してそうではありません。証拠に、しゃがんで掃除をしている私に驚き腰を抜かしたり、通報されそうになったこともありましたから。後者は本当に勘弁願いたいですが、そんな中でも私が気になったのは月に1度、必ず決まった曜日、決まった時間帯にくる1人の女性でした。一生懸命に手を合わせて、数十分間故人を思っては、帰っていく。
その女性もどうやらいつきても掃除している私のことが気になっていたようで。初めは無実である、という弁明の意味も込めて話をしていたのですが、だんだんと彼女の方からその胸の内をポツリ、ぽつりと溢してくれることもあるようになったのです。
経済的な理由や管理する人間がいないことから無縁仏にしたそうで、家庭の事情もあって田舎を離れざるをえなかったが本当は無縁仏にしたくなかった、引き取りたかった。本心を吐露する彼女の顔はまるでこれから断罪される罪人のようでした。
無縁仏にしたくてする人、
なりたくてなる人なんて、いないんです。
私が彼女に口を出す資格はありませんでした。それが少し歯がゆいと思ったこともありますが、彼女にとっては『その程度の繋がり』だからこそ本心を晒せたのです。繋がりが深くなればなるほど、相手を知れば知るほど自分を晒すのは怖いものです。その点で考えれば、私は意外と話を聞くのにマッチしていたというわけです。
そこから更に3年程、計5年間無縁仏の番人として名を馳せ続けた私に例の彼女がまた、声をかけてきました。どうやらこれからの人生で、大切にしていきたい人が見つかったとのことです。結婚するのと養子に入るのでもうここへは来られなくなるかもしれないという最後の日。
私の手をギュッと握り『ありがとう』とまっすぐな目をした彼女と、その両の手の温かさに、ああ。もう大丈夫なんだな。そう、漠然と思いました。後悔や思いは消えずとも、彼女なりの落としどころが見つかったのだろうと。それは、それまで本当の意味で合わなかった目線が、初めてあった瞬間でした。
ーーーーーーーーーと、まぁこれが私を墓掃除マニアへと昇華させるキッカケでした。見返しても長々と稚拙な内容の文章が続いていて少し恥ずかしいです。
そしてこの経験から私は人って、面倒くさい生き物なんだと学びました。格好付けで寂しがりや。深い関係を求めるのに、関係値が築かれればられるほど本音を隠す。泥臭い悩み、後ろめたい過去や後悔….そういったものが見えないように、隠そうとする。
私はそれが、どうしようもないほど愛おしく感じるんです。格好よく見られたい、綻びを隠したい、関係性と反比例的に強くなるそれって、結局根底には『嫌われたくない』がくるじゃないですか。そんな人間の不器用さが、本当に可愛らしく愛おしいんですね。
私がレンタル彼女を始めたのは、あの時の彼女にとっての私のように、誰かにとっての「ちょうどいい距離感だからこそ、何でもさらけ出せる存在」になりたいな、と思ったからでもあります。
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